
僕の仕事は、Webディレクターという、いささか実体のないものだ。
自社サービスを開発・運営している会社に勤めており、業務は基本的にフルリモートで完結する。
平日の僕は、書斎のデスクという一辺一メートルほどの聖域から、一歩も外に出ずに終わる日も珍しくない。
モニターの中に整然と並ぶテキストとオンライン会議で交わされる、物理的な熱量を伴わない言葉の応酬。それが僕の日常だった。
だからこそ、休日はその反動で、無性に遠くへ行きたくなる。
アスファルトの上をタイヤが転がる、あの確かな感触。サービスエリアの雑多な匂い。物理的な距離を移動するという、あまりにも原始的な行為を体が渇望するのだ。
僕は四十一歳。妻と2人の子供がいる。
今年二十一歳の息子は無事に就職の内定を貰い、自分の人生を歩み始め、十八になる娘は、家の中に新しい風と時折の嵐を運んでくる。
子供達の手が離れた妻と僕は、若くして子供ができた恩恵を満喫する日々だった。
今日は、その妻が友人と鎌倉に出かけている。
妻と出かけることしか趣味のない僕の、ぽっかりと空いた土曜日。
こんな日、僕は決まって一人で車を走らせる。
行き先は、その日の気分で決める。
今日はなんだか海が見たかった。閉塞した平日の記憶を、どこまでも広がる水平線で上書きするのだ。
だから、僕はステアリングを西へ切り、沼津を目指した。

Googleマップで「観光地」と検索し、出てきた近くの適当な名所を巡り、iPhoneの歩数計が15000歩を数えた頃、僕は今日最後の目的地に向かった。
それは年に数回は訪れる、沼津にある大型の温浴施設だ。

チェックインを済ませ、まずは腹ごしらえ。
僕は体質的にアルコールを受け付けない。せっかく沼津まで来ているが海産物も苦手だった。
食事処のメニューを眺め、僕は天ざるそばを注文した。揚げたての天ぷらがそこそこに美味い。
ここの魅力は、なにより露天風呂スペースだ。

夜空の下、源泉から運ばれてきた湯が満たされた岩風呂と、体を休めるためのリクライニングチェアがいくつか並んでいる。
ここでのルーティンは決まっている。
まず温泉に肩まで浸かり、体の芯を温める。
温まったら冷水機で水分を補給しサウナに入る。
サウナでは無理はしない。最長でも十二分で切り上げる。
そして水風呂に十秒入り、露天のリクライニングチェアでの外気浴するのだ。
全裸で星空の下、チェアに深く身を沈める。モニターの光で疲弊した目が癒されていく。夜風はキーボードを叩くばかりの僕の指先を優しく撫でていく。
夜風で体が冷えきったら、また温泉で体を温める。
このループを飽くことなく繰り返す。
それは僕にとって、システムのメンテナンス作業に似ていた。日常で蓄積したキャッシュをクリアし、メモリを解放し、最適化された状態で再起動するための、重要なプロトコルなのだ。
今夜もまた、僕は心身をリセットするため、いつものリクライニングチェアに体を預けた。
意識が現実と夢の狭間を漂う浮遊感がたまらない。
夜空には、都会では見えない無数の星が瞬いていた。
第一のループ:サウナとApple Watch
目を覚ます。また寝てしまったらしい。
リクライニングチェアの上で、すっかり体は冷え切っていた。
温泉で冷えた体を温め直し、十分に温まったところで冷水機で喉を潤し、サウナの扉に手をかけた。
サウナ室の中には、先客が一人いた。年齢は三十代後半から、僕と同じくらいだろうか。
引き締まった体躯でサウナハットを目深にかぶり、上段の隅に胡坐をかいているその男からは、自信に満ちたオーラが漂っていた。
ベンチャー企業の社長といった風貌だったので、心の中で「社長」と呼ぶことにする。
僕が下段に腰を下ろして間もなく、ふと社長の左腕に目が留まった。
ローズゴールド本体に、薄いゴールドのバンドのスマートウォッチ。
それは、おそらく発売されたばかりのApple Watchの最新モデルだった。
(サウナにApple Watchか……)
精密機器にとって、この高温多湿の環境は天敵だろう。内蔵するリチウムイオンバッテリーは、許容温度範囲が狭いという話をYouTubeで見たばかりだった。そんな知識が、これから起こる悲劇の予兆だったのかもしれない。
数分経ったところで、壁に設置されたオートロウリュの装置が、低い唸り声をあげて動き出した。
ジュワアアアァァッ!
灼熱の蒸気がサウナ室を満たす。
熱波が波のように押し寄せ、肌がひりつくような痛みを覚える。
僕も社長も、タオルで顔を覆い、じっと嵐が過ぎ去るのを待った。
ロウリュが終わり、室内に一瞬の静寂が戻る。そう思った、次の瞬間だった。
シューッ……。
妙な音が聞こえた。
オートロウリュが再稼働したのかと思ったが、音の発生源はそこではなかった。
社長の左腕から、白い煙が細く立ち上っている。
「えっ……?」社長は異変に気づき、慌ててApple Watchを外そうとするが、焦っているのだろう上手くいかない。
パンッ!!
乾いた破裂音が響き渡り、次の瞬間、社長の左腕からオレンジ色の炎が吹き出した。
「あああああーーーーっ!」
絶叫。社長は燃え盛る腕を振り払いながら、サウナ室の扉に向かって突進した。
扉を乱暴に開け放ち、外へ飛び出す社長。
しかし、その勢いと床の濡れたタイルが最悪の化学反応を起こした。
彼の体はつるりとバランスを崩し、スローモーションのように宙を舞う。ドゴッ!
鈍い、嫌な音。社長の体は、濡れた地面に後頭部から叩きつけられていた。
ピクリとも動かない。後頭部から、じわりと赤い液体が地面に溶け出していく。
「だ、大丈夫ですか!?」駆け寄り、声をかける。しかし返事はない。
うぅ…という微かな呻き声が漏れたかと思うと、彼の体から完全に力が抜け、意識が闇に沈んでいくのがわかった。
その光景を目の当たりにした瞬間、僕の意識もまた、急速に遠のいていった。
第二のループ:現実と悪夢
はっ、と息を呑んで目が覚めた。
僕は、屋外のリクライニングチェアにいた。
さっきまで外気浴で寝ていた、いつもの場所だ。
全身が、芯から冷え切っている。「ゆ、夢か……」
額に滲んだ冷や汗を拭う。あまりにもリアルな悪夢だった。気持ちが悪いほど、生々しい夢。
僕は夢を振り払うように、いつものルーティンに戻ろうとした。温泉でいつもよりもゆっくりと体を温め、冷水機で水分を補給する。
その時だった。「あああああーーーーっ!」背後から、鼓膜を突き破るような絶叫が聞こえた。
夢の中で聞いたばかりの絶叫そのものだ。
恐る恐る振り返る。視線の先、サウナ室のガラス扉が勢いよく開かれ、中から転がり出てきたのは、左腕に小さな炎を纏った、あの社長だった。
「う、そだろ……」夢と寸分違わぬ光景。
唯一の違いは、視点だ。夢の中ではサウナ室の中から見ていたが、今は外から見ている。
炎を上げた腕。パニックに満ちた形相。そして、濡れた床に足を取られ、盛大にバランスを崩す。
ゴッ!っと地面に後頭部が叩きつけられる鈍い音。
周囲の客が悲鳴を上げて凍りついている。
僕は、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
状況が理解できない。思考が完全に停止し、ただ目の前の光景を呆然と眺めていると、再びあの奇妙な感覚が襲ってきた。
視界が白く霞み、遠ざかっていく周囲の悲鳴。
そして、僕の意識は、またしてもぷつりと途切れた。
第三のループ:法則の兆候
目覚めは同じだった。屋外のリクライニングチェアの上。全身を覆う、凍えるような寒気。
三度目となると、さすがに偶然とは思えなかった。デジャヴュ、という言葉では説明がつかない。
「冗談だろ…」震える声で呟き、ゆっくりと身を起こす。
夢じゃなかった。二度目に見た光景は、現実だった。そして一度目の悪夢もまた、現実だったのだ。
あの社長が事故に遭うと、僕の時間は外気浴でうたた寝をしていた瞬間にリセットされる。
そんな非科学的な仮説が、否定しようもなく頭に浮かんでくる。
トリガーは何か。解決策はどこにある?どうすればいい? 僕に何ができる?混乱する頭で、ただ呆然と立ち尽くす。
何もできずにいるうちに、周囲の時間が進んでいく感覚だけがあった。
そして、遠くで人のざわめきが大きくなっていく。
おそらく、またあの事故が起きたのだろう。
それを認識した瞬間、僕は抗いようのない眠気に襲われ、視界が暗転した。
第四のループ:無力な警告
四度目の目覚め。もう仮説ではない。確信だ。
ループしている。
そして、おそらくこのループから抜け出すには、あの社長を助けるしかないのだ。
僕はすぐに行動を開始した。タイムリミットは長くない。
僕はサウナ室に直行し、社長が来るのを待った。
緊張していたからか、時間は普段より早く流れたようだ。ほどなくして件の社長が現れた。
彼が扉に手をかける寸前、僕は彼の前に立ちはだかった。
「あの、すみません。そのApple Watch、サウナに持ち込むのは危険です。爆発するかもしれません」
唐突な僕の言葉に、社長は怪訝そうな顔をした。
「はあ? 大丈夫ですよ。」
「ですが、オートロウリュの熱で……」
「ご心配どうも、こういうのは自己責任ですから。」
彼は僕を軽くあしらうと、さっさとサウナ室の中へ入ってしまった。
やはりダメだ。見ず知らずの男の突飛な警告など、誰も信じるはずがないのだ。
言葉は無力だ。特に、常識という名の分厚い壁の前では。
これから起こる悲劇の構造を、その危険性を、論理的に理解しているのは世界で僕一人だというのに、その知識は何の役にも立たない。
僕は、あの惨劇を再び目撃する勇気もなく、その場から逃げるように脱衣所へと戻った。ベンチに座り、両手で耳を塞ぐ。聞きたくない。知りたくない。
だが、壁を隔てていても、それは聞こえてきた。甲高い悲鳴。人々のどよめき。
ああ、またダメだった。その絶望とともに、僕の意識は闇へと引きずり込まれた。
第五のループ:別の手段
五度目の目覚め。直接的な警告がダメなら、別の手を考えるしかない。
そうだ、スタッフに伝えよう。社長に注意喚起してくれるかもしれない。
僕は急いで館内着を身につけ、フロントに向かった。
「すみません、サウナのことなんですが!」
若い男性スタッフが、にこやかに応対する。
「はい、お客様。どうされましたか」
「サウナのオートロウリュが危険です! 利用客の持ち物が発火する可能性があります! 注意喚起をしてください!」
僕は必死だったが、彼の目には明らかに常軌を逸したクレーマーにしか映っていないだろう。
世界のルールが書き換わったのは僕の周囲だけなのだ。
僕の剣幕に、スタッフの笑顔が少し引きつった。
「今、発火してるんですか?」
「ええ! いや、これから起こるんです! だから早く!」
支離滅裂だとは自分でもわかっていた。スタッフは明らかに僕を不審な客として見ている。
「承知いたしました。スタッフに確認させますので、そちらでお待ちください。」
マニュアル通りの対応。本気で取り合っていないのは僕にも分かった。
僕は無力感に打ちひしがれながら、フロント近くの休憩スペースに腰掛けた。
もう打つ手がない。時間だけが、無情に過ぎていく。
僕は黙って目を固く閉じた。それが引き金になったかのように、また意識は急速に薄れていった。
第六のループ:禁じ手と新たな枷
六度目の目覚め。
スタッフに頼るアプローチは失敗した。
残されたのは、乱暴な物理介入だけだ。
もはや社長の意思も、施設のルールも無視してやる。
僕はサウナ室で社長の隣に座り、機会を伺った。「それを外せ!!」そう叫ぶと同時に、社長の左腕に掴みかかり、Apple Watchを強引に引き剥がしにかかった。
「な、何するんだ!」もみ合いになる。
しかし、その弾みで外れたApple Watchが、高温に熱されたサウナストーンの方に飛んでいった。
パンッ!小さな爆発音。金属の破片が飛び散った。
社長は無傷だった。呆然と僕を睨んでいる。良かった。これで終わるはずだ。
そんな社長の視線とは裏腹に、僕は安堵していた。
その直後、スタッフが駆け込んできて、僕は取り押さえられた。誰かが通報したのだろう。
両腕をがっしりと掴まれる。不審者として連行されるのだろうか、警察を呼ばれるだろうか。会社や家族になんて説明しよう。
そんなことを考え始めた、まさにその瞬間だった。
ぐにゃり、と視界が歪む。
否定された。
僕の立てた仮説、行動、そのいずれもが「不正解」だと、世界の管理者から突きつけられたような感覚。
腕を掴まれたまま、僕の意識は無慈悲に刈り取られた。
第七のループ:仮説と発見
七度目の目覚め。絶望。もはや、その一言しか思い浮かばなかった。
社長を助けてもダメだった。なぜだ?リクライニングチェアの上で、冷え切った頭を必死に回転させる。
前回は、僕がスタッフに取り押さえられた瞬間にループした。
つまり、ループのトリガーは一つではなかった?
複数のフラグが立って、初めてループから抜けられるのかもしれない。社長の生存というフラグAに加え、僕の社会的保全というフラグB。
しかし、なぜ僕が?
このシナリオにおける僕の役割は、一体何なんだ?
どうすればいいのか分からないまま、僕はサウナ室に入った。攻略方法を思いついた時に、すぐ行動ができる場にいたかったのだ。
それは僕がこのゲームを何が何でもクリアするという覚悟ができた証だった。
熱気の中で目を閉じていると、壁のテレビからアナウンサーの声が聞こえてきた。
目を開けると、画面の隅にニュース速報のテロップが流れていた。
【速報】伊東市長を公職選挙法違反の疑いで逮捕
伊東市か。ここ沼津からはそう遠くない。
ぼんやりと、その文字を目で追う。
もうすぐ、ロウリュが始まる。このループでの攻略方法は思いつかなかったが、僕はそれでも僅かな希望に賭けて社長に声をかけた。
「信じられないかもしれませんが、僕には未来が見えるんです。あなたのApple Watchはこれから爆発します。お願いします、外してください。」
しかし、結果は同じだった。
社長は僕を頭のおかしい男を見るような目で見ると、何も言わずに黙って目を閉じてしまった。
そして、またループは繰り返された。
最後のループ(最終):証明と解放
八度目の目覚め。
これを最後にしてやる。
社長に証明する。僕が本当に「未来」を知っていることを。
僕はサウナ室で、上段に座る社長の正面、下段に腰を下ろした。
そして、静かに、しかしはっきりとした口調で語りかけた。
「すみません、少しだけ時間をください」
その真剣な口調に、社長が訝しげな顔を向ける。
「僕はあなたを知りません。しかし、あなたに助けるために、僕は何度も時間をループしています。」
頭のおかしな奴が絡んできたと思っただろう。
これで何も起きなかったら、僕はXのポストのネタにされていたかもしれない。
僕は黙って、テレビを指さした。
「あと数十秒で、あのテレビ画面に、『伊東市長 公職選挙法違反で逮捕』のニュース速報が流れます」
社長は思わず吹き出した。
「あんた、面白いことを言うな」
そうは言いながらも、社長はテレビに視線を移す。
低予算のバラエティ番組が下らない笑い声を撒き散らしている。
十秒、二十秒……。僕の額に汗が流れるのを感じた、その時だった。
ピロリン、という速報音とともに、画面下部に白いテロップが現れた。
【速報】伊東市長を公職選挙法違反の疑いで逮捕
社長の顔から笑みが消え、テレビと僕の顔を交互に見る。
「つまんないトリックだ」
「信じてくだい。僕は未来を見てきたんです」
今だ。僕は畳み掛けるように続けた。
「これからオートロウリュが作動します。その強烈な蒸気で、あなたのその最新のApple Watchが、あなたの腕の上で爆発します」
確かに、この証明は完璧なものではない。まともに考えたら何らかのトリックにだって思えるだろう。
予言者なんてものを信じるには、あまりに弱い事象だ。
しかし、その事象に「恐怖」が添えられたことで、僕の言葉には抗いがたい説得力が備わったのだ。
社長は、自分の左腕に巻かれたApple Watchを、毒蛇でも見るかのような目で見つめた。
そして、一言も発さずに立ち上がると、足早にサウナ室から出て行った。
一人残されたサウナ室。やがて、オートロウリュが作動し、灼熱の蒸気が満ちる。しかし、爆発は起きない。悲鳴も聞こえない。
僕の意識が途切れることはなかった。これで、ループは終わったのだ。
結章:腑に落ちないハッピーエンド
ループから解放された。帰りの車を運転しながら、安堵と同時に、深い謎が心を支配していた。
あのループ現象はなんだったのだろうか。
縁もゆかりもない、あの社長の事故が、なぜ僕の時間を巻き戻したのか。
いや、初めは社長の死がトリガーだと思っていたが、それだけでは説明がつかないループもあった。
あらゆる事象に因果関係があると仮定するならば、僕があの場に居合わせ、あのループに巻き込まれたことにも、何かしらの意味があったはずなのだ。
結局、答えは出ないまま、僕は沼津の街を後にした。不可解な体験は、僕の心に奇妙な澱(おり)を残し続けた。
エピローグ
あれから、一年が過ぎた。
あの日の出来事は、時折思い出す悪夢のように僕の中にあったが、平穏な日常は、その記憶の輪郭を少しずつ、しかし確実に曖昧なものへと変えていた。
来月、息子がこの家を出ていく。会社からそう遠くない場所に、小さな部屋を借りたそうだ。
この家の空気が、きっと少しだけ、変わるのだろう。
玄関のドアが開く音がして、当の息子が帰宅した。
無言でリビングを横切り、冷蔵庫へ向かう。
その腕に見慣れないものが光っているのに、僕は気がついた。
「スマートウォッチ、買ったの?」
僕が尋ねると、息子はペットボトルを取り出しながら、こちらに視線も向けずに無愛想に答えた。
「ん? ああ、Apple Watch。初任給で買った。中古の型落ちだけど」
僕は、それを見て、息を呑んだ。
ローズゴールドの本体に、薄いゴールドのバンド。
それは一年前に、あのサウナで見た社長の腕にあったものと、寸分違わぬ組み合わせだった。
いや、と僕はかぶりを振る。世界で最も売れているスマートウォッチだ。同じモデル、同じカラーの個体など、いくらでも存在する。
単なる偶然。そうに決まっている。
だが、僕の心の片隅で、あの非科学的なループを体験してしまった僕だからこその、非理屈的な妄想が膨らむのを抑えられなかった。
何度も考えてきたループの条件として、それはこれまでで最も合点のいくものだったのだ。
一瞬で様々な感情が胸の中を駆け巡ったが、僕はただ一言だけを口にした。
「…それ、大事にしなよ」
僕らしくない、妙に父親ぶったその台詞に、息子は肩をわずかにすくめただけだった。
来月にはもう、この家にいない息子の後ろ姿に、ほんの少しだけ寂しさを感じた。
今夜の夕食は、あいつの好物を作ろうか。