どうも、ホテル予約は公式サイト派の僕です。
最近では多くの場合でホテルの公式サイトが最安値になってたりしますよね。
ホテルによっては分かりやすく最低価格保証を謳ってるところも多いです。
だから、いったん楽天トラベルとかでまとめて検索して、良いホテルを見つけたら公式サイトに行って予約なんてのが1番お得だったりします(無慈悲)
ところで、リリースキャンペーンで「3万円分の旅行が無料になる」で話題になってたTRAVEL Nowご存知ですか?
抽選とかではなく、先着で結構な人数が無料になったみたいで界隈では話題になってました。
このアプリ、シンプルに言えば、
後払い専用の旅行アプリ
だそうです。
TRAVEL Now(トラベルナウ) - Bank, inc.
近くの水族館から、東京、箱根、ハワイまで、10万円までならすぐ遊びに行けて、支払いは2ヶ月後で良いらしいです。
価格に関して言うと、ホテルの料金とかは特別安くはない気がします。
分かりやすいところで言うとサンシャイン水族館とかは定価そのままです。
あくまでも、今お金を払わなくても良いと言うところがウリというわけですね。
そのウリがすぐに話題になって、先日ワールドビジネスサテライトでも取り上げられてました。
アプリを開発したのは少し前にCASHでも話題を集めたバンクという会社です。
この会社が得意とするのが、
性善説に基づくサービス
です。
(一見おめでたそうな社長が登場)
たとえば、CASHはブランド品の買取サービスですが、顧客の送ってくる商品の写真を見てすぐにお金を振り込みます。
商品が送られてきてから査定する、というステップをすっ飛ばしてるわけです。
商品があとでちゃんと送られてくることを信じて。
今回のTRAVEL Nowはお金がない人でもとりあえず旅行に行かせるのです。
お金があとでちゃんと支払われることを信じて。
この性善説で、他社との差別化を図ってるわけです。
で、気になるのが「そんなことで成り立つのか?」ってところです。
ちなみに、街行く人にインタビューしただけでも、
「払わない」と明言する人がでます。
顔出しで悪びれもせずによく言うなって感じですが、実際こんなもんなのでしょう。
(この学生は半分ノリで答えてるので、実際はきっと払う子だと思います)
なんのフィルタリングもされてない人たちの中には、信じられない倫理観の人たちがいるものです。
ましてやCASHにしてもTRAVEL Nowにしてもどちらかというとお金に困ってる人がターゲットですし。
ちなみにCASHの経験によると、
そんな人たちは5%だそうです。
そして、バンクとしてはそれを極端に低い確率だと思ってるそうです。
しかし5%で極端に低い確率とは、、、
つまりもっと多いと思ってたんですよね。
性善説に基づいてサービスしてるという割には、やはり顧客を信頼してるというわけではなさそうです。
そう、たまたま今回はおめでたそうな格好をしてますが、この社長さんもけして性善説を信じてるわけではないと思います。
当然、不払いが何%ならビジネスが成り立つかを綿密に計算してるはずです。
不払いの分は手数料を上乗せして損失吸収をしています。
そしてこのサービス、なんと支払いがなくても
取り立ては一切しないらしいです。
繰り返しますが、別にこの社長の「人が良い」からではないです。
取り立てをするよりもしない方がコスパが良いと判断したのでしょう。費用対効果です。
取り立てするのにもコストかかりますからね。
つまり、その払わない人たちの分は、払う人たちが負担してるわけです。
正直者がバカを見る仕組みです。
僕は個人的にこれが好きではないです。
悪い奴はちゃんと取り締まってほしい。
すぐにお金を払える人がこのサービスを使うのは絶対に失敗です。
言っちゃうとその倫理観のない人たちの分を支払うことになるわけですからね。
目先のお金に困ってるのに旅行に行くという発想にも違和感ありますよね。
しかし思い出すと、メルカリで出品してるときに「買いたいが今支払いできないから取り置きしてくれないか?」と聞かれることが度々あったり、そういえばZOZOTOWNもツケ払い利用者がすごく多いと聞きますし、
これは相当の需要があるんだろうなと思います。
ちなみに、そんな貯蓄ゼロ世代をターゲットにしたサービスをフィンテックをもじって貧テックと言うそうです。
山川キャスターの視点。
なかなか小バカにしてますねw
あ。そうだ。
あと性善説警察の方に突っ込まれないようにwikipediaのコピペ置いときます。
なお、今日「性善説」という言葉は「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という意味で用いられることが少なくないが、本来は正しくない。以下に解説するように、孟子も朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。